当社のWebサイトをご覧いただきありがとうございます。 当社へのご質問・ご相談・お問い合わせは、右記に掲載の電話、ファックスまたはお問い合わせフォームよりお気軽にご連絡ください。


苫小牧倉庫株式会社の業務内容。

当社は北海道苫小牧市の苫小牧港近くに低温倉庫及び一般物流倉庫があります。一般倉庫の物流には欠かせない木製パレットの再生工場も稼動しております。他には冬の道内では必需品である道路融雪剤やスタッドレスタイヤ等が常時保管されております。

苫小牧倉庫株式会社 会社概要     

事業内容     

1. 倉庫業
2. 利用運送事業及び運送取扱業
3. 荷役作業請負業
4. 自動車損害賠償法に基づく保険の代理店業
6. 不動産の管理
7. 前各号に付帯する業務

当社は苫小牧市の新開町2丁目3番21号に本社及び一般倉庫があり、
新開町4丁目には穀物専用の政府指定低温倉庫があります。

最新ニュース


2019年も10月になりました。

秋の声が聞こえる美しい季節が到来しました。
貴社ますますご繁栄のことと心からお喜び申し上げます。
平素は格別のご厚情を賜り、厚く感謝しております。
令和元年も残り3ケ月です。忙しくなる年末もすぐですね。

さて、2019年10月8日(木曜日)は二十四節気の寒露です。
寒露は、秋が深まり紅葉も色が濃くなり、朝露が冷たい頃を言います。
先週までは道内では夏日(25℃以上)もありましたが!
今週からは一転して秋風が吹き始め夕方は寒いほどです。
現実的には冬タイヤのスタッドレスに交換する時期を考える頃。
そしてインフルエンザがいつもより早く流行し始めました。
北海道も世界中から観光客が訪れますので、外国からの持ち込みかもしれません。
冬の季節の国からの旅行者から、インフルエンザが増えているのかも?
体調管理に心掛けましょう。


今月は神無月です。八百万の神様が出雲に出かけます。
10月は8日の寒露より、月命 甲戌三碧木星の星盤になります。
甲は東に在り木気に属し伸を表わす。戌は北西に位置し茂るの意。
旧態の殻を破り新芽の誕生を示唆し、整理整頓も必要な状況。
九星は三碧木星、卦象は雷です。実態が見えなく手に取りづらい形。
しかし進出や伸長など、向上するための発動という意味があります。

先月は風水害の被害が大きく、政府は九州や千葉を激甚災害に指定。
今年は台風の上陸が多く、各地で大きな被害がありました。
10月になってもまだ大型の台風が上陸する可能性があります。

9月中には大きな地震は起きていませんが、
9月の後半から10月の初めにマグニチュード4.0前後が増えてます。
千葉や福島、青森近辺での沿岸での地震が続いて起きています。
今月は三碧木星月で、地震には特に注意する必要あり!
今年中は、火山の噴火や地震には注意して生活しましょう。

今月は10月21日から11月7日まの期間、秋の土用です。



二十四節気と土用について簡単に説明します。


2019年は7月7日が二十四節気の小暑になります。
小暑は夏至から数えて15日目頃です。(その年によりずれることが有ります)
暑さがどんどん強くなっていくという意味で、
本州ではこの頃から暑さが本格的になってきます。
そして各地で梅雨の終わる頃で集中豪雨なども多く発生する時期です。
小暑とは暮らしが夏使用に変わる時です。
衣食住のあらゆるものを夏向きに替える時でもあります。

暑中見舞いの時期
お盆の前に贈り物をもって直接訪問した名残で、
訪問する代わりに挨拶状を出すようになったのが、始まりだと言われています。
出す時期は小暑(7月7日)から立秋(8月8日)の前日まで。
正式には大暑(7月23日)からという説と夏土用の期間に出す説も!
立秋以降は残暑見舞いになります。

二十四節気と実際の季節感がずれる理由。
二十四節気は立春(2月上旬)立夏(5月上旬)立秋(8月上旬)立冬(11月上旬)
四つの季節はそれぞれ春夏秋冬の始まりを意味しています。

二十四節気の夏至を「夏の中心」とし、冬至を「冬の中心」、
そして昼と夜の長さが同じ「春分と秋分」を春と秋の中心にして、
一年を四等分して春夏秋冬を決めました。
そのため立春と言ってもまだまだ寒い冬と感じると言う事が起こります。

7月には夏の土用があります。今年は7月20日から8月7日までが土用期間です。
土用という言葉でまず思い浮かぶのは土用の丑の日。
土用の丑の日と聞く夏の暑い日にうなぎを食べることを連想しますね。

ところで、土用は夏だけではなく春夏秋冬のそれぞれに年4回あります。
また、昔からの言い伝えで土用の期間は土いじりをしてはいけないとされています。
そこで、どうして土用に土いじりをしてはいけないのか。

土用の正式名称は「土旺用事(どおうようじ)」。略して土用と称するのが一般的です。
土用は陰陽道で、具体的には立春・立夏・立秋・立冬の前の18日間を指します。
陰陽道の神の中の一人に土公神(どくしん・どくじん)という神様がいます。
土公神は土を司る神様で、土用の期間は土を支配するとされていました。
故に、土公神が土を支配している期間は土いじりをしてはいけないと言われています。

現在でも建築関係では土用の期間は土を掘り起こすことを避ける場合があるようです。
もっとも、土用の期間に入る前に着工して既に土をいじっている場合は、
土用の期間に入って土いじりを継続しても良いと言われています。

土用の期間は原則土いじりをしてはいけないとされてきました。
しかし、土用は年に4回、しかもそれぞれ18日間もあります。
土用の期間中に土いじりができないとなると農作業も停滞してしまいます。

実は土用の期間中には間日(まび)という日が存在をします。
そして、土用の間日については、土いじりをすることが許されていました。
土用の期間中、土公神は地上を支配します。
ただし、ずっと土にいるわけではなく、間日には地上を離れ天上に行くとされてきました。
土を支配する神様がいない時なので、間日は土いじりをしてもよいとされています。

なお、土用は春夏秋冬の年4回ありますが、それぞれので間日は決まっています。
冬の土用の間日 ⇒ 卯・巳・寅の日
春の土用の間日 ⇒ 巳・午・酉の日
夏の土用の間日 ⇒ 卯・辰・申の日
秋の土用の間日 ⇒ 未・酉・亥の日

農作業や工事関係だけでなく、ガーデニング等でも注意しましょう。


本社は苫小牧市新開町2丁目です

穀物倉庫(政府指定低温倉庫)&一般倉庫

当社の低温倉庫は苫小牧市新開町4丁目にあり、2棟合計で温度10℃以下の保冷倉庫が7,272㎡あります。

倉庫内の積み上げられた保管方法の穀物写真及び構内整備写真、また清掃業務等の写真を予定

その他、温度管理状況や保管記録等の写真等の予定。

 
本社倉庫の西側道路からの写真です。

一般倉庫

一般倉庫は苫小牧市新開町2丁目にあり、北海道では重要な凍結防止用の融雪剤や必需品であるスタッドレスタイヤ(小型車から超大型車までのタイヤ)を保管しています。

ページ上部への戻りは、JavaScriptを用いて、なめらかにスクロールしながら移動するようにしております。

賃貸オフィス

苫小牧駅前ビル、その他賃貸オフィス等のご用命は本社営業部迄御連絡お願いします。

コラム

コラム  食糧倉庫と私

         

当社非常勤顧問 (北大名誉教授 & 中国福建省 農業科学院名誉教授 齋藤裕)


食料倉庫と私


 北大農学部で植物に寄生するハダニ類の研究をしてきた私にとって、貯蔵食料の害虫であるコナダニ類は専門外である。といっても、ダニを研究しているといえば、みんな一緒だろうと世間的には思われるのも仕方がない。ダニのようなやつ、と嫌われるマダニやイエダニも、実は私のはるかな専門外なのだが、ダニを研究しているのだから、それらの専門家だろうと言われ続けてきたのだ。ダニ類というのは、実はすごく大きなグループで、喩えていえば、昆虫類と言っているのと同じなのである。トンボを研究しているという人に、ゴキブリやカブトムシのことを問わない、という程度には、ハダニの研究者にコナダニのことを問うのは、やはりお門違いなのである。

 そうはいっても、世間一般からダニ類ならなんでも知っているはずの専門家と思われているし、聞かれればまあ素人の方よりは、ダニ学会などを通じた耳学問があるだけに少しはましな返答ができる。私が食料倉庫の貯蔵米に発生するコナダニの防除に踏み込んだのは、そんなきっかけからである。

 苫小牧倉庫株式会社は、当時7000トン?の政府管掌米の貯蔵を委託されていた。その米にコナダニが発生することがあり、防除が難しいので発生消長と防除方法を考えてもらいたい、という依頼が社長からあったのは10年ほど前のことであった。当時、小泉政権になって規制緩和が叫ばれ、その一環として貯蔵倉庫の害虫管理が、食糧庁から貯蔵業者へと移され、いわゆる自己責任の時代へと替わっていった。それに伴って貯蔵害虫を研究する政府機関も縮小したので、貯蔵害虫やカビなどの発生を業者が独自に調査し、防除しなければならなくなった。つまり食料の管理責任が、その持ち主(政府)から、その保管者(倉庫業者)へ移ってしまい、業者は保存期間の管理責任を問われる(保存状態の良否を問われる)ことになった。これがよかったのか、困ったことなのか、それは何とも言えないが、倉庫業界にとっては、かなりやっかいな問題を抱えることになったことは確かである。

 倉庫の貯蔵米にはアシブトコナダニほか数種のコナダニ類が発生する。肉眼ではほとんど見えないが、米の袋の表面のチリを刷毛でぬぐってシャーレに集め、実体顕微鏡30倍で観察すると、結構な数のコナダニがみられることがある。もちろん、倉庫会社では常に米の袋を清掃し、また薬剤(米袋から離れたところにつり下げて、薬剤が空気中に蒸発発散することで害虫を殺すタイプ、現在では使用禁止になったらしい)も使ってコナダニの防除をしているのだが、米の袋の内部まではなかなか防除が追いつかない。そのために、袋の中で繁殖したとみられるコナダニが袋の周囲に出てきて、その存在が確認されるのである。

 ところが、ここで1つの大きな問題があった。それは、米袋の表面にコナダニがたくさん見つかる時には、米袋の内部でそれが増えているのか、それとも増えられないから外に出てきたのか、という疑問である。倉庫で袋の中の米を観察することは、その量の膨大さ、平積みされた袋の重さなどからほとんど不可能である。したがって、コナダニの発生は、袋の外に出てきたダニの数で知るしかないが、それが本当に「今」発生しているのか、「過去」に増えたものが外にでてきているのかが分からないということである。それが分からないと、コナダニがどういう環境条件で増えるのかという肝心な部分が分からないので、対処が困難になってしまうのである。

 そこで、シャーレの中で米にコナダニを寄生させ、実験室的に温度や湿度条件をいろいろ変化させて、コナダニの発生を調べるという実験を請け負うことになった。その詳しい結果をここで述べるのは避けるが、実験の結果は今までの常識から外れたものであった。それは、従来低温であればダニは出ないとされていた常識が、10℃前後の温度では通用しないという点にあった。大変微妙なはなしなのだが、例えば10℃で湿度が70%(相対湿度)と12℃で湿度が60%だと、どちらがコナダニの増殖に適当か、というと前者なのである。相対湿度は温度と並行して変化する。先の2湿度条件は、同じ室内を10℃とした場合と12℃とした場合にほぼ自動的に成立するものなのだが、ここでコナダニに重要なのは、温度ではなく湿度の方だということが分かってきた。繰り返しになるが、コナダニは多少温度が低くても(ホウレンソウケナガコナダニで実に5℃前後でも繁殖するという報告がある)、湿度が十分あれば増殖できるのである。そうなると、食糧倉庫は10℃以下を目安に、といわれていた従来の指針は、湿度条件が規定されていないと無意味なものということになってしまう。それが、管理された食糧倉庫でコナダニが問題になる1つの要因だということが明らかになった。

 苫小牧では、米の倉庫でコナダニが袋の外で目に付きはじめるのは、だいたい3月から4月である。この頃は、寒冷地でも外気温が上がり初め、倉庫内の温度もクーラーなしでは10℃を上回るようになってくる。従来は、この袋の外面にコナダニが発生する時期が、コナダニの増殖によるものだと考えられてきたのだが、先の実験からは、むしろその時期はコナダニにとって湿度が低すぎて米の袋の中で増殖が困難になって、そこから這い出してきた(これをコナダニの専門家は「這い出し現象」と名付けている)ために目に付くようになるのだ、というのが我々の出した結論である。むしろ、10℃以下で「良く」発生を抑えていると考えられていた、12月から2月の時期に、コナダニは好適な条件のもとで米を食って増殖していた、というのが実情のようだ。したがって、コナダニの発生抑制には、もう少し厳冬期に米倉庫の温度を高めに維持し、それによって倉庫内の湿度をさげてやる配慮が必要だということになる。

 世の中には、このような思い込みによる過誤がよくある。コナダニが低温で繁殖できないという常識は、5℃以下というようなごく低温では成立するのだが、一般の冷蔵庫温度10℃では通用しない。一方、湿度の方が重要なのだが、それが温度に相対的なものであるために、その測定や制御が大変に難しく、なおざりにされてきたことに、もう1つの問題があったのだ。

コラム-2 エッセイ

         

苫小牧倉庫(株)札幌オフィス 貯穀害虫研究所より



また中国の話(17.3.13)


 年の暮れというものはせわしないものだ、という観念からすると今年は例外的と言っていいほど静かである。50年ぶりの大雪も、その静けさの背景になっているようだ。窓から見える道路では、車が狭くなった道で譲り合いをしているところに、また何台かが接近してきて、進むも引くもままならないでこぼこみちで四苦八苦しているのが見える。ここ3年は、新年早々の中国赴任をみすえて、暮れも正月もがつがつと休もうという意識で、かえって気ぜわしかったのだが、それも一段落して、静かなものである。
 私的に言えばそういう状態であるが、世間はそういうわけにはいかない。何とも気ぜわしいニュースにあふれているし、現役の方達はそれどころではないのだろう。お気の毒さまである、と同時にうらやましくもある。

 喧噪の中国からもどって8ヶ月が過ぎた。年始には中国で会議があるから来ないかか、というお誘いも受けた。残念ながら、そういう気持ちににはなれない。遠いからというのではない。朝札幌を出れば夕方5時には目的地福州につけるのだから、海外旅行といっても那覇に行くのとさほど変わらない。ただ、行った先で、またあの雑然とした気分を味わうのが鬱陶しいのだ。私のなかで中国はあきらかに分裂している。そう、悠久の歴史を刻んできたかの国へのあこがれと尊敬、現実の中国のあり方や人々への批判的な感情。これらがどうにも調整がつかずに、私のなかに併存している。それは3年間の赴任期間中にも調整されることはなく、むしろ矛盾は増大してきたように思われる。

 異国文化に対する免疫がなかったので、そういうことになるのか、とも考えてみた。仕事柄、友人には海外経験の長い方がたくさんおられる。そいう方から、滞在していた国の悪口を聞くことは希であった。むしろ、海外の国がすばらしく、日本はだめだとね、という意見が多かったように記憶する。もとより、学者の海外滞在は、それらの国に勉強に行くというのが主な理由だから、師の国に対して悪い感情はあまりもたないのかもしれない。なかで、唯一の例外がアメリカ合衆国であったが、まあそれは人がえぐいという程度のことで、学問の上でのことではなかった。要は、文化にたいする私の許容範囲が狭い、つまり器が小さかったということだろう。少なくともわが国よりは発展が遅れている国に行ったのだから、しつけのなっていない、あるいはできの悪い学生に文句をいっているようなもので、おまえはそれを矯正にいったのだろう、と言われると返す言葉もない。

城郭で町を守るということ(16.10.12)


 中国に来てみて日本とは違うなあ、と感じたことの1つに、必ずアパート群を囲む厳重な塀があるという点である。日本では、一戸建てに塀をめぐらす習慣はあるが、アパート群全体を塀で囲むということはあまりしない。福州では5-6年前からの建築ブームで、30-40階建ての高層アパートがそれこそ雨後のタケノコのように建てられている。大きな40階建てのビル数10棟がまとめて建っている風景も珍しくない。それを”なんとか花園”、”なんとか賓府”などと呼ぶ。そのアパート群の周りを高さ2mぐらいの塀で囲み、入り口には守衛がいて、外部からの侵入をチェックしている。さらに、この壁の上部にはガラス片とか釘のようなものが隙間なく植えこまれて、乗り越えようとするものを阻んでいるのだ。また、高層アパートでも、それぞれの住宅のバルコニーには鉄格子がはめられている。随分治安が悪いんだなあ、と最初は思ったのだが、聞いてみるとそうでもないらしい。昔からの習慣なのだそうである。確かに、いろいろな中国の本を読んでいみると、この国は城郭都市を中心に発展してきたので、町の周りを壁で囲うというのが、普通のことなのだという。それは3000年以上の間に数え切れない戦乱を経験したこの国ならではのあり方なのだ。これを異とする日本人は、その歴史の違いに留意する必要がある。

 なぜ、日本人は”城郭=町”を守るという習性を持たなかったのか。あるいは、古い時代にはそうしていたが、それをやめてしまったのか。また、我が国では城は武士だけの防衛施設であり、多くの場合民衆はその中で守られることはない。それも、中国とは大分違うような気がする。これは、司馬遼太郎氏が言うように、我が国にはそれほど大きくかつ頻繁な戦乱がなかったからなのかもしれない。しかし、戦国時代もあったし、それだけで割り切れるようなものではないような気がする。

 もう一つ、気になるのは、地方にもよるのだろうが、中国の人達の攻撃的な性質である。カーッとしやすいというのが私の受けた印象であった。銀行の窓口で順番を争って大げんかになったり、車でも先を争うという運転が驚くほど多い。それほど大事に至らないので、程というものはあるのだろうが、我が国の人達に較べて、その「程」の幅がよほど狭い。言い換えれば間合いがよほど狭いのである。車で言えば、ブレーキを踏むまでに、日本なら2mぐらいの間であるが、中国では50cmぐらいなのだ。だから、中国の車はあちこち擦り傷だらけである。また、電気バイクに乗る庶民も、車と喧嘩しているような危険運転が日常であり、ここでも間合いがきわめて狭い。私など毎日はらはらして、気分が悪くなるほどである。そういうことが、他人と自分との距離を反映していて、それが外に対する警戒、こもって守るという行動に結びついているような気がする。要は、私達が思い描く中国の”大人”というのは、いるとしても、ほんの限られた範囲の人達、なのであって、庶民は気を張りつめてこせこせ生きているというのが実際のところのようだ。こういうことが、家族だけが信じられる世界だという家族主義の根底にあるような気がする。

 さて、この家族中心主義であるが、これもしばしば度し難いものとして残っている。私の共同研究者は会社も持っていてお金持ちなのだが、この家族には困った兄弟が多い。彼女の生まれた頃にはまだ一人っ子政策がなかったので、兄弟が4人いるのだが、その数人は定職をもたず、投機などをしてぶらぶら暮らしているらしい。そして、何年かに1度数百万円の負債を抱えて、彼女に泣きついてくる。彼女はもちろん猛烈に憤慨するのだが、母親の懇願に負けて、いつもその尻ぬぐいをしている。このようなことが、この国の世界では常態だとのこと。一家に1人偉人(例えば官僚とか富豪)が出れば、それにぶらさがって家族は安泰という、昔からの生き様がまだ色濃く残っている。裏返せば、家族の結束が強いのである。家族が親戚の範囲まで広がれば、1つの村や町が血族だけの世界となり、それが城郭で守られるということになる。現在では、そのような形でアパート群が形成されることはあまりないようだが、根底にあるのは、やはり家族あるいは同ステータスグループで身を守るという強い習性のようだ。中国が国のテリトリーに異常な執着をもつのは、愛国イデオロギーというより、もっと至近的な家族中心主義とその防衛という意識からくるものではないだろうか。

著作紹介:ダニの話-人間との関わり-「島野・高久編」(16.3.8)


 ながらくご無沙汰したエッセイの代わりに、今日は「ダニの話・人間との関わり」という新刊書を紹介したい。本書は、人間の生活に関わるダニ類を中心に、これまで分かってきたことが網羅的に解説されている。身近なダニ類に対する様々な誤解、あるいは古くなった知識を、この本でかなりバージョンアップすることができるだろう。食糧倉庫業界で問題になるコナダ二類や家屋に発生するダニ類に関する詳しい解説もあるので、ぜひ関係者の一読を促したい

 ところで、ダニの話だというので、そういうつもりで読んでみて、多少の違和感を感じた。これは「人とダニ類の関係」の本ではないかという感想である。人が書いたのだから同じことだ、と言う向きもあるだろうが、大分スタンスに違いがある。ダニの話というのであれば、やはり主役はダニだと思うのだが、大半の内容は「人にとってのダニ類の話」であり、あくまで主体は人にある。その意味で、ダニ類に被害を受けたり、あるいは気になっている人には良書ということになる。一方、純粋にダニ類に興味を持っている人、(めったにいないのだろうが)は、副題に断ってあるにしても、少し的を外しているかもしれない。

 もちろん農業のダニや人畜無害なダニの話題もいくつかあって、ダニ類にもいろいろあるのだということは繰り返し述べられている。それでも、ダニとは嫌な存在だなあ、と感じてしまうことは否めない。また、人に有害なダニ類の排除(防除)対策も、それを実施したら何とも快適でない生活になりそうである。そんな訳で、ダニ学を志す若い人が、本書を読んで、なおダニ学に取り組もうとするかどうかとなると、いささか疑問が残った。そういう人たちには、むしろ本書のボックスにある最近のトピックを読んでいただきたい。そこには若手の研究者が、思いもかけない発見をし、それらが世界的に評価されてきた「ダニの話」が書かれている。人とダニ類の関係の基礎知識をバージヨンアップするには本文を、また若手のエンハンスにはボックスを、という読み分けを勧めたい。

 余談だが、多くのダニ類の和名がひどく長いと感じた。一気に読めない名前(ネコショウセンコウヒゼンダニとかホウレンソウケナガコナダニなど!)もあるし、学名をそのままカタカナにしたものなど、読者には相当つらい。これは標準和名を提案された(あるいは、していない)分類学者の問題だが、それに忠実に従わざるを得ない執筆者のご苦労が思いやられる。かくいう私も「なんとかスゴモリハダニ」などと、長い和名のダニを対象に四苦八苦している者の一人であるが、難しいところである。
 なにやら、ない物ねだりが過ぎたようである。この本は、読者に、まだ分からないことがきちんと伝わるように書かれている。それが、本当の科学の教科書というものだろう。

時代劇が好きだ(15.9.5)


 TV視聴もままならない(というのも中国語がわからないから)中国では読書の他にはDVD映画が楽しみの1つである。千円ぐらいで10本の映画がみられる古い洋画や時代劇のDVDを買ってきて、1日1本ぐらいをみるのが習慣になってきている。ネット販売、ビデオショップや古本屋の棚を物色して気に入ったものを買っていたが、近頃子供のころにみた映画やTV番組がなつかしくて、それを主に探すようになっている。

 しかし、見たい映画がDVDで提供されている例はあまりに少ないような気がしている。先日萬屋錦之介の「それからの武蔵」を購入(これは版権がまだ健在なので高かった)、それを堪能した後で、ふとその一昔まえの月形竜之介の同題名のTVドラマがみたくなって、ネット検索をかけてみた。1964年放映ということなので、50年まえのドラマということになる。私はそれでもすでにその頃中学生であった。残念ながら、このDVDは販売されていないようで、ビデオライヴラリーというところで視聴するしかないようである。
中国のネットはおそろしく遅いので、視聴するのはあきらめざるを得ない。私の年代、いわゆる団塊の世代は、今そういうものを懐かしがっているのだから、きっと売れるに違いない。何とか、DVDに落として販売してくれないかと思うこの頃である。

 こんな事を書くと、年寄りの何とかと言われそうだが(そういうことを言われるとは、つい先頃まで夢にも思っていなかった)、この頃にみた時代劇は、先日亡くなられた桂米朝さんの落語ではないが、適切な間、いきな台詞とみえを切る仕草など、いまは歌舞伎でしかみられない、日本のなつかしい芸能を彷彿とさせ、ただのドラマでははなく立派な芸術ではないかと思ってしまう。まあただの懐古主義にすぎないといわれれば、それまでだが。

 ゲーム世代が主流になって、映画の世界もCGを駆使した奇想天外なものか、アニメばかりになってきた。それが悪いというわけではないが、人間の想像と現実とがあまりにかけ離れてしまえば、それはもうただばかばかしい作りものに過ぎない。またその現実乖離したヴァーチャル映像に慣れてしまえば、それはすぐに飽きられるようなものだと思う。 人間としてできる限界で芝居をしている時代劇は、そのようなものと較べると、話が少々荒唐無稽でも、そういうこともあるのか、と心に直接響いてくるものがあると思う。娯楽だから目くじらを立てる必要もないのだろうが、スマホばかりにらんでゲームに熱中し、会話をしようともしない親子連れをファミマで見かけるたびに、この世の中はどうなって行くのか、夫婦で顔をみあわせて、首をかしげているこの頃である。
ちなみに、私はスマホは持っていないし、携帯を持ち始めたのもつい3年前、かかってきてもまず出ないので、いまはほとんどかかってこないので気が楽である。これは単なる時代遅れなだけだろうか。コンピューターのプログラミングも私の仕事の内なのだが。

違いに気づくということ(15.5.21)


 中国で2年暮らしてみて、私達と福建省の人達との「違い」がようやくわかるようになってきた。今まで、何でも日本人と中国人の違いと言うような感じで捉えてきたが、だいたい私が日本人の典型でもなく、また私の周りにいる人が中国人の典型といえるかどうかも分からないのだから、今後は対象範囲を限定して書くことにする。

 例えば、食べ物のことである。これまで、中国料理には例えば鳥の足の揚げ物とか、骨付き肉の酢豚、あるいは身がとりだせないような上海ガニなど、私にとってはとても手がでないようなものに閉口させられてきた。骨付き肉といっても、大方が一口で食べるような大きさなので、これを手でつかんで肉だけを剥がして食べるのは難しい。また、鳥の指(つめ)などもどこを食べるのか、食べるところがない。上海ガニからケガニやズアイガニのように殻を破って中の肉を取り出すのは、その労力に取り出せる中身の量が追いつかないし、手が汚れて(大体は味をつけて煮てある)とても我慢ができない。さらに、これらの食べかすをテーブルや床にはき散らすというのは言語道断ではないかと思っていた。

 ごく最近、こういう食べ物をどうやって食べるか、について会得するところがあった。先の酢豚の中の骨付き唐揚げ肉は、そのまま口にいれて、少し咀嚼していると肉が骨から外れてくることがわかったのだ。それで注意してみていると、少し口のなかでころがして、肉を食べたらペット骨をはき出す、これがこちらの食べ方だということがわかった。上海ガニも、肢などはそのまま口に入れて、しゃぶって殻をはき出すのがもっともうまい食べ方である。要は、しゃぶってはき出す(かみ出す)という一連の動作が、私の生まれ育った世界で下品だとされていたことが、それらを美味しくたべられなかった理由だったのである。

 さて、問題はこのような場面で、私はこちらの人は何て下品なのだろう、と私の尺度で判断していたということにある。私に、食べたものを人前ではき出すという食べ方が酷くマナーから外れた下品な食べ方だという思い込みがあるためである。しかし、こちらの食品は、そういう食べ方を前提にしているのだから、かれらにとっては下品とか何とかの問題ではなかろう。しゃぶってはき出すという食べ方が下品だと誰が決めたのか?そんなマナーがないこの地方では、むしろ私にように骨に肉がたくさんついたまま、食べずに残す方がずっと下品だったのかもしれない。また、食べかすをまわりに散らかすといっても、それを掃除する仕事の人もいるし、またテーブルクロスごと食器も含めてそれに全てを包んでかたづける、という豪快な後始末の仕方もあるのだから、それは1つの習慣なのかな、と思うようになった。片付けるかれらも、それで給料を得ているわけだし。

 一事が万事かもしれないと、少々冷や汗がでてきた。ひょっとすると、私がこれまで中国について悪い印象を書いてきたことは、私が育った環境で刷り込まれたマナーだけから判断していたものではなかったのか。もとより、道にものを捨てるとか、エレベーター内でたんを吐くとか、みていて気持ちの良くない行動が多いが、それが許容されている社会であれば、なにも私がそれらを批判する理由は無いのかもしれない。民族同士の対立など、案外こんな相手への極些細な無理解が原因だったりする。生きていく上で、生活態度が必ずこうでなければならない、などということはないのだから、まさしく郷に入っては郷に従えなのだろう。

 最近日本に来て爆買いをしてくれる中国人観光客のマナーの悪さ(これは日本人からみて)がとりざたされている。大声でどなりあったり、下着で歩き回ったり、何だか昔の田舎からの日本人観光客を思い出したりするが、それらも結局かれらがそれらを許容する(かまわない)環境にいるからにすぎないのだ。それなら、いうべきことは、日本では日本のマナーを守ってね、という程度のことではないだろうか。

偶然からのはじまり(15.3.26)


 何か新しいことを発見するということは、ほとんど偶然からはじまるのであろう。 例えば、考古学における発見、これまでの常識を覆すようなものを見つけるのは、たまたま工事現場だったり、掘削された道の露頭であったり、そこにあるものを見る目のある人がたまたま見てしまった、という偶然によっていることがほとんどであろう。そこに埋まっているはずだからそれを理論的に掘り出したというのは、この偶然の発見から、遺跡や異物の存在が十分予想されるようになってからの話であり、きざしは偶然に現れるのだと思う。

 私がダニの社会性を発見した経緯も同じようなものであった。たまたま、数千枚にもおよぶ葉についているダニを野外で調べているとき、観察が追いつかないので、採集したササの葉を長い時間冷蔵庫に保存せざるを得ないことがあった。そのような葉では、ダニはほとんど死んでしまい、その死体を数えるというはめになる。もとより、採集時点ですでに死んでいた個体と冷蔵庫内での死体はだいたい区別できるのだが、一方このような死体(つまり死に方)というのは、時に野外の行動の1ったんを垣間見せることには気づかなかった。いまにして思えば、瞬間に冷凍するという方法は、動物の行動を観察するのに優れた方法の1つである。

 スゴモリハダニという植物を食べるダニと、それを捕食するカブリダニというのがササの葉の主な住人である。この食うものと食われるものについての知識から予想されるのは、後者が前者を食べている姿だけであろう。ところが、先の野外採集葉の観察で、ハダニがカブリダニに覆い被さっているすがた(両者ともにすでに死んでいる)がときどきみられたのだった。わかりやすく喩えれば、シマウマがライオンに覆い被さって、ともに死んでいるという姿、あるいは馬が熊に同様な姿勢をとっているというものである。しばらくは、単に死ぬときに折り重なってそう見えるだけではないか、と見過ごしてきたのであった。
しかし、まてよと思った。それは当時、私の同級生だった青木さんが、アブラムシに兵隊がいるという世界的な発見をした直後だったせいもあるだろう。アブラムシもいうまでもなく植物の葉から吸汁するベジタリアンである。それに捕食者に対して闘う兵隊アブラムシをもっている種がいるというのだから、これはそれまでの常識を覆す大発見であった。そんな話を耳にしていたので、スゴモリハダニでもひょっとして、捕食者に刃向かうような場合があるのかもしれないと思った。ためしに実験をやってみたら、確かにスゴモリハダニの中に、捕食者を攻撃し、相手を殺すという種がいることを発見してしまった。 この発見は、アブラムシの2番煎じのようなものになってしまったが、それでもダニという大きなグループでの社会制の発見につながったのであった。この発見がその後の私の研究者人生を大きく変えることになった。

 こんな偶然の発見には、もちろん様々な条件があったに違いない。だから、偶然ではないという見方もあるだろう。さらに、口の悪い向きからは、そんな宝物がどこに埋まっているかわからないのにむやみに土地を掘り起こすようなのは科学ではない、といわれるかもしれない。ただ、私に言えることは、私をとりまいていた様々な要因、それは人だったり、研究論文だったり、あるいは個人的興味だったりが、その時にそう考える「必然」のようなものを生んだのだと今は思っている。それらがわからなければ偶然というしかないのだ。仮説があってそれを検証するのが科学だ、という先の口のい手合いからみれば、噴飯ものかもしれないが、それは通常の科学の手続きであって、むしろ発見には直感こそが大事だと、私は今も強く思っている。

敬してみまもる(14.12.04)


 中国は実に長い間日本の教師であったといわれる。明治以前の日本は常に中国の思想の影響の下にあり、また文物の多くは中国の産品(唐物)を華として珍重してきたのである。明治以降に西洋文化九州に国の方向性を転換したからといって、過去に千年以上も尊敬してきた国をそう簡単に忘れるわけにはいくまい。

 最近浅田次郎氏の「中原の虹」を読み、その中に昭和初期においても、明治以前の中国の恩義を忘れず、その恩を返すべく中国留学生へ献身した明治生まれの日本人のことが書かれていた。この作者自身が大の中国びいきなので、こういうテーマが描かれていいるのだろうが、それを差し引いても、まじめに日本史を学んで、日本がいかに中国から多くのことを学んできたかを知る私達の身にしみついていることは疑いを入れない。もとより、文化にも時、所に応じて善し悪しがあろう。中国や韓国の精神文化の支柱である「儒教」が現代のわれわれの価値観からすればそうそう受け入れられないものが多いことも事実であり、むしろ個人主義や脱家族主義など、それを否定することが善であるような流れさえある。とはいえ、日本人についていわれる礼儀のよさや、謙譲の美徳などは、まさしくこの儒教の教えのたまものではないのだろうか。

 さて、その儒教の発祥の地である中国を今みてみると、その美しき伝統を破壊するのが国の方針?でもあるかのごとく振る舞っているように見える。また国民の礼容のなさ、エゴイズム、拝金主義がいたるところに露出している。いったい、私達が千年敬してきた、あの中国は何処へいってしまったのだろう。

 そうは言っても、現状をみる眼に少し修正を加えなければなるまい。それは、日本でも明治以降、日本の伝統を捨て、西洋に合わせるべく国の政策も国民の日常の行動も変化させてきたのである。その変化のもっとも大きなものは、鎖国から帝国主義(植民地主義)へ、さらに現代的に言えばグローリズムへの転換であったろう。その過程で、われわれは実に様々な伝統的なものを捨ててきた。そして、70年前、無謀な世界大戦を引き起こして大敗した。その反省から経済活動にシフト、苦節30年、昭和の末期にはついに日本人はエコノミックアニマルと海外から蔑視されるような存在に成り上がった(下がった)のであった。幸か不幸か、バブル崩壊という戦争なら敗戦のような、いわゆる経済における敗戦を味わい、また持ち前の粘り腰で、いまようやくその長い戦後をぬけだそうとしているかにみえる。その過程で、われわれは再び、様々な「昭和」の価値観を変化させざるをえなかった。そうした変容は、私達個人ではそれほど実感できないが、外からみた日本人の変化は大きなものに映っているに違いない。

 さて、中国はどうか。その変化は、スピードには大分違いがあるものの、日本の戦後から昭和60年あたりまでの変化と酷似しているように思われる。礼の国から個人主義の国へ、経済大国、海外への展開など、日本が経験した大戦前夜とバブル崩壊前夜の2つの時代を同時に実現せんとする勢いである。そしてそれは半ばなったように見える。と同時に、これらを実現する国民的基盤は、この国の伝統の破壊、価値観の転換によって支えられているように思われる。そうであるなら、私達の敬した中国は、わたしたちの過去の苦い経験(歴史が今を作った以上、あえて失敗とはいうまい)をなぞっているように思えてならない。もとより、その時代と今とでは、とりまく世界状勢も大きく変化しており、その行く末が同じかどうかはわからない。ただ、言えることは、われわれもそうした時代の大きな変遷のなかで「変わらざるを得なかった」ように、中国の人々も「変わっていく」のであろう。ただ、変わらないものが日本人にもあったように、根っこのところで、中国人のもつ敬すべき美徳、敢えて1つあげれば信義の厚さ、は変わらずにいて欲しいと思っているこの頃である。

中国のモウソウチク害虫問題(14.8.09)


 20年ほど前に中国のモウソウチクでハダニが大発生したことが、私が今中国にいる最大のきっかけである。長い間北海道のクマイザサでのハダニの個体数を調節している様々な天敵の存在をみてきた私にとっては、ありそうもない事態であった。バイオマスの大きさからみてモウソウチクは北海道のササに引けを取らないようにみえる。1本の稈は直径15cmを越え、高さも20m以上、そこに着いている葉は膨大な数になる(概算で1稈に2万枚)。また、この稈の太さは、わが国の古典説話として有名なかぐや姫が、その中に赤子として封じ込められていたというイメージにぴたりとくる。またその赤子の成長の早さも、モウソウチク稈の驚異的な生長をそのまま反映しているということは多くの方が指摘している。 ただ、先に述べたように、モウソウチクが270年前に日本に輸入移植されたものだと、この説話自体が日本古来のものだとは、にわかに信じがたくなるのである。我が国の固有種であるナリヒラダケやマチクは、どんなに太くても稈の直径が6-7cm程度だから、その稈の中に赤ん坊が入っているとイメージするのは、なかなか苦しいのではないか。かぐや姫伝説が中国由来であるという説は、この点からも支持されるようにみえる。

 それはともかく、このモウソウチクが数種のハダニ、特にナンキンスゴモリハダニという種によって、立ち直れないほどの被害を受けたのであった。それは、約20年前、中国が文化大革命の痛手から立ち直り、様々な産業が発展を始める時期に当たっていた。福建省では、その頃の主要輸出農産物として、日本をはじめ東南アジアでよく食べられる筍を得るためにモウソウチクの栽培を奨励した。それまでのモウソウチクは、自生に近い竹林にすこしだけ人間が手を加えるという程度であり、多くが針葉樹や広葉樹の混交林にタケも生えているいうような状態だったらしい。このような粗放型の栽培を大転換して、モウソウチクだけの純林(つまり本格的なプランテーション)化を推し進めたのが1990年代の初めである。当初このもくろみはあたって、筍生産量はその前の3倍に達したと聞いている。その猛烈な低価格での輸出攻勢で、わが国の筍栽培農家は多分ほとんどが意気消沈させられたのであろう。それが、現在問題になっているわが国のモウソウチクの異常繁殖という後に述べる里山崩壊問題の引き金になったのかもしれない。こうして、3倍の収穫が得られるようになったのもつかの間、数年を経ずに福建省のモウソウチク林はハダニの大発生による崩壊という重大な問題を抱えることになった。それが、私をこの省と結びつけるきっかけになったことは前に詳しく書いた。ただし、私が福建省農業科学アカデミーの張先生から相談をうけた段階では、まだモウソウチクが枯れていく原因についてはハダニ大発生説以外にも、いくつかあったこともすでに述べた。調査の結果、ナンキンスゴモリハダニ、イトマキハダニおよびサビダニ(フシダニ類)の被害であることが分かったのだが、それではなぜこのような大発生が起きたのか、についてはまったくわかっていなかったのである。

 5年ほど現地に通って、ようやくその謎の一端が分かった。それは、モウソウチクに本来存在したはずのタケカブリダニという強烈な天敵が、大発生竹林でほとんどみられないことだった。このタケカブリダニは、日本のササ・タケに発生するスゴモリハダニ類のもっとも重要な天敵であり、札幌の防風林などでは5月末に発生したケナガスゴモリやササスゴモリハダニは、6~7月ごろには、このカブリダニによってほとんど抑えられてしまう。したがって、そういうところではスゴモリハダニの大発生はまず起こらない。ただ、街の中の公園や庭園など隔離されたところで栽培されているクマザサやタケではしばしば大発生がおきることも経験的に知っていた。その顕著な例を、昔行った京都の本阿弥光悦寺の庭園でみたことがある。最初はこの庭園には葉縁が白いクマザサが植栽されているのだと思って、念のために葉裏をみたら、その白い斑入りと思われた部分は、なんと大発生中のスゴモリハダニの食害痕だったということがあった。国宝の庭もそれでは台無しである。タケカブリダニは巣を作るスゴモリハダニの巣の中でしか正常な繁殖ができない特別の天敵であることが分かっている。したがって、モウソウチク林にこの天敵がいないと、巣に入れる天敵はほとんどいないのでナンキンスゴモリハダニは天敵フリーとなって、その繁殖力を最大限に活かすことができるのだ。つまり、簡単に大発生してしまうのである。

 それでは、なぜタケカブリダニがいないのだろうか。その理由は、単作化していないモウソウチク林にはこのカブリダニがたくさん生息しているという張さんの観察結果と、そういう竹林を囲んでいるススキにはススキスゴモリという別のスゴモリハダニがいて、そこにはタケカブリダニが多発しているという私の観察からほぼ明らかになった。つまり、単作化された竹林では、天敵が餌不足の時にもそこに生息するための替わりの餌がないのだ。これは、天敵にとって甚だ不都合なことになる。なぜなら、モウソウチクは2年に1度落葉するという性質をもっていて、このような落葉が竹林全体で起きると、カブリダニは餌を探せなくなると考えられるからだ。周りに別の餌ハダニがいれば、それで食いつなぐことができるのだが、手入れの行き届いた竹林にはのススキ(ススキは亜熱帯では常緑)もほとんどなく、それもできない。つまり、そのような竹林は、単作の農業のような状態にあったのだ。そいうところでは、害虫が大発生することは、古今東西で普遍的な現象なのである。ともかく、あまり手を入れすぎないこと、ススキはできるだけ残すように、というのが私が現地で行った提言である。それ以降には特に問題が起きていないということだから、それは、多少とも害虫大発生を抑えるのに役だったようにもみえる。

屋久杉とアオウミガメ(14.5.26)


 自然を題材にしたテレビ番組で、「驚くべき」、という大きなお世話の某放送局のナレーションが、歳のせいか耳について仕方がない。自然に感動するというのは、だれかに強制されてするものではなかろう。

「ウミウシのウ」という本があった。作者のお名前は忘れてしまったが、ただただウミウシをみたいと、ご夫婦でダイビングに明け暮れる幸せな人生を歩んでいる方の著作だった。なぜそれがおもしろかったのか、もちろん軽妙なタッチで飽きさせない語り口が大きかったのだろうが、それよりもウミウシに魅せられておもしろがっている様が、私がダニに魅せられておもしろがって研究してきた軌跡に合致しているからだろうと思う。何の役にも立たない他愛ないことに熱中している姿が、微笑ましいということにつきた。また珍しいウミウシを見つけたときの感動がストレートに伝わってくるのである。自然に対して感動するというのは、本来理由もなく、ただ感動するということなのだ、と私も思う。

 私が自然に感動したといえる経験は2回ある(研究とは関係ないところで)。1回は屋久島にダニの調査に行って、暇をみて屋久杉ランドで弥生杉をみた時である。屋久杉、特に縄文杉についてはその著しい長寿がしられており、それに「感動すべき」といわれて、はあなるほどというのが一般的な感動のあり方だとすれば、私の感動はそれとは違うと思っている。私の場合はともかくその杉に遭遇したときの得体の知れない雰囲気に感動したのであって、予備知識を確認した、という種類の感動ではなかった。

 屋久杉ランドで弥生杉に遭遇する前、木道を歩いていて、まわりの杉や灌木の様子がそれまでとは何かが違うと感じ、そのまま進んで行くと、そこに千年をかるく越えた齢をもつその杉が屹立していたのである。この「何かいままでとは違う森の様子」というのが具体的になんなのか、今もってよく分からない。しかし、確かにその老杉が目に入る前に、そこに何かとんでもないものがいる(ある)と感じさせるものがあったのだ。これはさらに齢を重ねた縄文杉でも同じなのだろう。それを非科学的にオーラとよぶことは簡単だが、そんなものではなく、この杉が存在することで形作られた周辺の植生が、若い林とはまったく違うものになっている、ということなのだと思う。もとより生物の歴史からみれば千年や2千年などは瞬き1つであろうが、ある決まった場所に確かに存在する自然の千年は長い。その間にこの杉と相互作用してきた周囲の植物や動物が、その「何か違う雰囲気」というものを生み出したのだ、と私は了解した。

 もう一つは、つい最近夫婦のバカンスで行った慶良間諸島での経験である。座間味島の周囲の珊瑚礁は美しい。特に古座間味ビーチは、シュノーケリングで色とりどりのサンゴ、そして群れる魚たちをみることのできるすばらしいところである。私たち夫婦は年に1?2度ここでダイビングやシュノーケリングをするのが「くせ」になりつつある。このサンゴの海とは別に、そこから4キロ離れた阿真ビーチに行くとウミガメ(アオウミガメ)がみられるという宿の方の話しを聞いて、早速でかけてみた。行ってみるとそこにはサンゴはほとんどなく砂地の藻場であった。ここでしばらくシュノーケリングをしていたのだが、魚も少なく、サンゴもぽつんぽつんとあるだけで、お目当てのカメも見当たらなかった。 そろそろ引き上げようかと思って浜の方に泳いでいくと、なにやらぞくとした感じに襲われたのである。なんだか、先の方にゆらとした影がみえた。あまり透明度が高くないので、最初は何か危険な魚がいるのではと身構えたのだったが、それがウミガメだった。しかし、一見すると実に変な形をしたカメなので、近づいてみると、それは大きなカメにコバンザメが張り付いているのだということがわかった。ここでは地元の方がカメの保護に熱心で(後でみたのだが、カメに触らないで!という看板がいくつも浜に立っていた)、そのためかカメは人を怖がらない、というより無視しているので、本当に近くまで寄ることが出来た。体長50cmぐらいのウミガメはタイのプーケットなどで何度か目撃しているので、驚かないが、ここのカメは1mをゆうに越え、堂々としたものであった。また、最初に感じた、何か異様な物がいるという感じは、やはりこの大きさからくるのだということもわかった。先の屋久杉に較べれば小さな生き物だが、野生動物が1mを越えるとその風格というか、理屈ではない感動を与える。また今年もかれらに会いに行こう、ついそう思ってしまうのである。

科学界のモラルハザード?(14.4.18)


 山中教授のノーベル賞受賞決定のニュースにやや遅れて、世にも不思議なIPS細 胞の臨床試験の話題がニュースになったことがあった。さらに、STAP細胞の発見 に関わるこの数ヶ月のすったもんだがある。これらのニュースの真偽はまだ判然と していないが、それでもニュースの中身は何とも一般の方に理解不能なものだった ようである。中でも、渦中の人物が公表した論文に共著として名前があげられてい る有名国立大学法人の教授や研究所の部門責任者等が、研究論文の撤回やら自分の 名前の掲載を削除するように求めるという不始末が、不思議なこととして取りざた されている。

 これだけ聞くと、科学の世界では、本人の承諾がなくても論文の共著にされてし まうことがあるのか、という素朴な疑問がわくだろう。また、もしそのようなこと があるとなれば、これは詐欺行為であるから、名前を削除するという生やさしいこ とではなく、むしろ詐欺乃至名誉毀損で訴えるべきことではないかと思うに違いな い。なぜ、そうならないのだろうか。私は長年この世界に身をおいてきたので、ま あそういうことはよくあると理解していたのだが、一般の方々と話してみると、こ れが、かなりちんぷんかんぷんな話なのだということがわかった。ここでは、その 話に立ち入って、科学者の世界にある村構造(まあ絆ともいえるか)について紹介 してみたい。

 大学特に旧帝大系の大学には、まだ古い講座制、つまり強い上下関係あるいは徒 弟制度が旧家の煤のようにこびりついているのである。そこでは、教授が下の者に たいして絶大な権力をもち、学生を含むすべての者の業績は、教授のものだという 意識がある。それ自体は徐々に改善されつつあるとしても、研究室の全員が、研究 に関わったどうかを問わず共著者に名を連ねるというのが常態なのだ。さらに、昨 今の客観性のない業績至上主義下では、ともかく研究者個人の論文と著作数が問わ れることになる。業績論文数を数えるには、個人あたり名前の載っている論文数が 幾つあるか、がまず問われ、次にその論文の掲載誌の格付け(インパクトファクタ ー)が参照され、次に主著・共著関係が問われる。但し、多くの場合は、論文数だ け評価すればよしとする傾向がある。それは、現在のように科学が細分化されて専 門化してしまうと、論文内容について吟味するのは、よほど近い分野の研究者にも 難しいし、またその時間もないというのが現状だからである。

 業績評価が主に公表論文数で行われるとなると、個人あたりの論文数は、共著が 多ければ多いほど増えることになるから、今回のような「身に覚えのない」論文の 共著(本人の承諾なしというのは、あり得ないことだろうが)や「内容がよく分か っていない」共著者が入った論文が、多数存在するという不思議な事態がおこって くるのである。言い換えれば、本人は科学者として論文を書く能力がなくても、周 りに善意の研究者が多くいると、黙っていても業績が増えていくということになる。 また、権力を持つ教授は、その下のものの研究論文すべてに共著を強要できるのだ から、座して美食を食うだけでよいことになってしまう。もとより、教授になるに は相応の業績が必要なはずだが、もし講座が全員共著体制をしいていると、年齢だ けで業績が増えるのだから、間違って教授という事態も少なからずあると聞いてい る。

 このような現状で、これらの事件は起こったのである。だから、私にとってもそ れは意外ではなかった。確かに、多くの共同研究者がいなければ実施できない巨大 科学もある。研究費に事欠く現在の多くの分野では、研究費を相互に貸し借りしな がら続ける研究も多いだろう。このような人間関係が、先の無責任な共著者を産ん でいることも否定できない。しかし、科学が独創性を最上とするなら、研究者の評 価は主著および責任執筆者であるかどうかでなされるべきであり、何十人もの共著 者のある論文が、個人の業績として単著や主著者と同等に扱われがちな現状は早急 に改善されなければならない。そうでないと、本当に独創性をもち、真剣に科学に 取り組んでいる個人は、得てして正当に評価されず、不利益を被るだけということ になってしまう。
 文科省、学術振興会、あるいは大学評価機関、さらに大学にあっては、そろそろ 「研究」業績の客観的評価について、腰を据えた取り組む時期がきているのではな いか。おかしな共著者に関するその報道は、それを如実に示すものである。

小さな虫の小話


ここまで中国で生活して思ったことを紹介してきたが、年も明けたので、話題を変えて、私のこれまでの研究について「小さなムシの小話」という題で書きためてきたエッセイを紹介することにしたい。

 ダニはともかく小さい。私がこれまで扱ってきたハダニというムシ(ムシといっても正しくは昆虫ではない)は、脚を入れても500?600マイクロメータ(0.5?0.6 mm)程度である。めっきり老眼がすすんだ私には、もう肉眼では存在すら認識できない大きさである。このようなムシをやっていると、あなたはノミの研究をしているのか? それともシラミの研究?と不審がられる。いやもっと小さいダニですと言うと、もう具体的イメージなしに、ああ、あの嫌らしい「ダニ」ね、と念を押されてしまう。さらに追い打ちをかけるように、そういうムシをやっていても博士や大学の先生になれるんですねえ、と感慨深げに、あるいは憐みを含んで言われると、何とも言えない気持ちになる。

 ムシと書いて、「虫」と書かないことには別の理由もある。世には昆虫学という学問があって、昔はわが国の生物学のなかでもかなり高いステータスをもつ分野であった。それは、農業害虫の被害が国民の食生活に直接影響を与え、また森林害虫が山を荒らし、さらに風土病を媒介する動物寄生性昆虫の害が無視できないほど大きかったからである。また、わが国が養蚕業によって国力を発展させたことは、城山三郎氏の渋沢栄一伝「勇気堂々」につぶさに語られている。それを支えた養蚕学という分野は、その当時に確立されて今に至っている。さらにミツバチやマルハナバチが蜂蜜生産、花粉媒介にいまでも大きな役割を担ってもいる。しかし、現代では、生まれてからほとんど虫をみないで(あるいは意識しないで)大人になれるほど過度に「清潔」な都市ができているので、そういわれても実感の湧かない方も多いのだろうが。

 日本の昆虫学には150年近い歴史と伝統があるのだ。そういう学問であるから、昔は「昆虫」あるいは「虫」とそれ以外のそれに似た動物、つまりここでいうムシの間には歴然とした区別があった。研究者を差別しているわけではなく、トンボやハチの研究は高尚で、ダニやクモは低級だというような動物に対するいわれなき差別であるが、私にすれば結果は同じである。例えば、ダニを研究して、その成果を昆虫学の研究誌に投稿すると、往々にしてダニは昆虫(虫)ではないから掲載不可であるといわれたのだそうである(これは私の先生から聞いた話)。私がダニの研究を始めたころでも、そういう差別?をまだ引きずっており、私の研究論文は1編も日本の「昆虫学」の研究誌には載っていない。日本昆虫学会の会員ですらないのである(別に自慢しているわけではない)。
もちろん、そのような差別のない海外のエントモロジー(ギリシャ語でentomos:節で区切られたもの=節足、和訳ではなぜか昆虫学となるが、海外では節足動物学ぐらいの広い意味をもつ)の研究誌にはたくさん出しているが、どうも日本では相変わらず「虫」と「ムシ」とではステータスが違うような気がして、気後れするのである。今は、ダニ学会やクモ学会なるものがわが国にはあって、それぞれ棲み分けるようになっているが、やはり広い意味での昆虫学のなかで多くの研究者と意見を交わしたかったというのが本音である。それでも、相変わらず若い時にすり込まれたひがみ根性からは、なかなかぬけ出せずにいる。このようなこだわりから、以後はムシと書いて、昆虫を含むすべての節足動物を指す言葉として使うことにする。

 ところで、私の先生であった森樊須先生が、ある時学生であった私にこんなことをおっしゃった。「クマとかキツネとか研究している人(当時私のいる研究室では、動物ならなんでも来いであった)はアマチュアですよね。私のようにダニなんかやっていると、これこそがプロの仕事だと思うんですが、あなたはどう思いますか?」 先生の意図を測りかねた私は当時うまい返答ができなかったが、今思えば、そういえば、そうも言えるかなと。  まあそれ以上つっこむのはやめにしよう。何を言っても言い訳がましく聞こえるに違いないのだから。私がこれまでに発見したことが、もっと人に好感をもって迎えられる動物についてのものであれば、それはもっと賞賛をあびても良いものだ、という苦い思いもあるのかもしれない。しかし、以前に書いた私の本を読んだある方が、「神は小さきに宿る」と書評を書いてくださったことが、この題を選んだもう一つの理由でもある。

中国通信 5


 そろそろ師走、日本では賀状の準備など年の瀬の慌ただしさにつつまれ初めているのだろう。中国ではこのような喧噪とは無縁なようである。なぜなら、ここでは新正月は休みもほとんどなく、祝い事もないからである。本当の正月は春節であり、その時は1週間から10日の休日があって、国中が帰省の大移動などで大騒ぎになるのだそうだ。私のように中国語も話せずに滞在している者にとっては、この時期は面倒をみてくれている人達も休みなので、職場にも行けず、外にも出られず、家で逼塞している以外にない。それは困るということで政府と交渉して、その期間は特別帰国がみとめられそうである。

 それはともかく、一昨日まで重慶市に5日ばかり滞在していた。この市は四川省(三国志の劉備玄徳や諸葛孔明で有名な巴蜀の地)の東南の長江沿いにある特別市で、街のたたずまいは、福州などにくらべて大分落ち着いている。街を歩く人達も福州に較べておっとりしている(福州が酷すぎか)ように見えた。車もそれほど過激な走り方はしていない。また、街全体もかなり清潔であった。ただし、ここでも犬の糞は放置されているので、歩くときにはよほどの注意が必要であった。

 用事は、ここで開かれた中国ダニ学会に会合で講演をすることだった。その講演の内容や成否はさておき、5日間太陽をみることはなかった。毎朝濃い霧がたちこめ、昼には弱々しい太陽が空に薄明るく見える程度なのだ。以前に広州でも同じ経験をしたが、この地域は盆地(といって途方もなく広大な盆地であるが)なので、こういう天気が多いとのこと。天府とよばれた豊穣な地だと聞いていたが、これで作物が育つのか、余計な心配をしてしまった。

 とまあ、ただの紀行文になってしまったが、今回はそれに徹することにして、次はグルメにいってみよう。四川料理は日本でもあまりに有名である。その筆頭は麻婆豆腐であろう。ただ、かなり高級な店で食べてみたのだが残念ながらあまりに辛すぎて、味がよく分からなかった。そのためか、日本の麻婆豆腐の方がずっと美味しいと感じたのは、舌の問題なのだろうか。他にも様々な肉料理や野菜炒め、魚が出たが、どれにもこれにも赤や緑の唐辛子が溢れていて、とにかく辛かった。3日めあたりから胃の調子が大分おかしくなったので、パーティーを欠席して、デパートでパンと牛乳を買って、それをホテルの部屋で食べて、何とか5日を耐えることができた。慣れれば何てことは無いのかもしれないが、これは拷問に近いものだった。

 最後に実につまらないしもねたで恐縮だが、この旅でふと思ったのは、泊まったホテルが5つ星(但し中国独自の認定らしい)なのに、ウオッシュレットがついていないことである。また、そろそろ肌寒くなってきたので、便座のウオーマーも付いていないのは困ったことである。もとより福州で住んでいるアパートもそのような設備はない。
これまでに中国では北京をはじめ何十という都市のかなり高級ホテルに泊まってきた(しんせんの五州賓館などは超5つ星であったろう)が、どこにもそのような設備はなかった。慣れとは恐ろしいもので、便座に座って冷っとすると、それだけで便意はひどく減退してしまう。また、事後に洗えないとすごくに気持ちがわるいので、そのままシャワーを浴びることになる。

日本のトイレに慣れた身として、これは甚だ面倒で辛いことである。この事は、他のあらゆることに通じるようで、今日本であたり前のように成っていることが、あたり前でないところがあるのだということが新鮮な驚きであった。前に書いた車の運転マナーにしてもしかり、公衆道徳しかりである。我が国では、これから道徳教育を正課として実施するのだというが、それは屋上屋を架すような話ではないのか。そこまで衛生的でまた道徳的になってしまって、日本人は本当に大丈夫なのだろうか?

中国通信 4


 しばらく文章を書くのが億劫になっていた。多分アレルギー性鼻炎のせいだと思うが、これがなかなかなおらない。毎朝眼が醒めて顔を洗うと立て続けに5-6回クシャンときて、鼻水がズルーとでるのである。それは仕事が一段落するとまたくるし、鼻に緊張感がないと発生するような気がしている。昨今の中国の大気汚染に原因を押しつけるのはたやすいが、日本にもどって数週間経ても治らないのだから、そうとばかりも言えまい。昨年であれば、多分死ぬ思いをしていただろう。髄膜腫瘍が神経を圧迫して、咳をするにも全身に痛みが走るという状態だったのだから。まあ、それも名医の手術で全快して、今はくしゃみ程度では何事もないのが幸いである。

 さて、中国にも150日、5ヶ月滞在したことになる。受け入れ先の張先生が活発に運動されたようで、先日戻ってみれば、私は福州市の名誉市民になったとのことであった。名誉なことには違いないが、それがどんなメリットを私に与えるものなのか、まだ何も知らない。ともかく、こういうものをいただくと、福州でめったなことは出来なくなる。案外、それが張先生の思惑なのかもしれない。

 さて、これまでも中国の人達の不思議な行動について紹介してきた。もちろん、それは日本人との違いであった、私の目に奇矯に映っても、その是非をとやかくいうつもりはない。ただ、今回のことは、少し困ったことだった。それは、実験のために温度調節ができる実験装置(庫)を購入したことにはじまる。私は実験生態学が仕事なので、実験条件を整えることが手始めになる。温度一定、湿度もある程度コントロールされた環境で動物を飼育し、その行動や生態を観察するのだ。そのために不可欠なのが、この温度調節庫ということになる。新品を上海のメーカーから購入し、動かしてみたら、25℃の設定で庫内温度が40℃を越えていた。これでは使いものにならないので、メーカーに修理を依頼したら、最初に言われたことが、外気温が高すぎるのではないかということだった。冗談もほどほどにして欲しい。外気温が多少高い(この時期40℃を越えていた)から温度調節ができないような機械は、温度調節庫とは呼ばない。外気温によって庫内温度が上昇する冷蔵庫なんて「あり」だろうか。ふざけるな、という心境であった。
猛烈に抗議してもらって(中国語が話せないので、私では手も足も出ない)、ようやくエンジニアーが修理して、しばらくは25℃を保っていたが、1ヶ月過ぎたあたりで、今度は日中に25℃設定で28-29℃まで温度が上昇するという変な現象がおきた。幸い、温湿度データを長期間記録する装置を入れてあったので、この異常に気づいたのだが、この程度の微妙な不具合というのが最も始末に悪い。気づかなければ、実験のデータのふれが原因不明のまま論文にしてしまう恐れがあるのだ。そこで、また張先生を通じてメーカーに抗議したら、納入してお金をもらったら後は知らない、という回答だったという。日本円で50万円ぐらいはする機械である。知らないはないだろう、と繰り返し抗議させたら1ヶ月ほどしてようやく機械を交換することができた。今度はまともに動いているようだが、まだ信用はしていない。

 それよりも、新しい装置には庫内に棚もなければ、まわりの断熱晩も未装着という状態なのである。これでは、実験を始めるにはまた数週間待たなければならなくなる。いったい、このザスッパさはなんなのだろうか?日本でこのような会社はすぐに淘汰されるはずなのだが、この種の機械では中国のトップメーカーだと聞かされて考え込んでしまった。

 翻って、これは今私たちは日本製品が海外とくに開発途上国のやすい製品に駆逐されることを心配しているが、それが杞憂であるとこを示す例ではないだろうか。日本メーカーの製品はおおむね、その製品の質とアフターサービスの質で世界に冠たるものだと思う。それは、仮に製造場所が中国であってもである。10年ほど前、張先生が日本に来られた折りに、日本製品をたくさん買いあさっていかれたことがある。その時、メイドインジャパンかメイドインチャイナかをすごく気にしておられた。メイドインチャイナは日本メーカーのものでも決して手を出さなかったのだった。しかし、最近来られた時には、これは日本の会社の製品か中国の会社の製品かを気にしていたが、製造が中国であることは気にもとめないようであった。要は、製品が日本の技術風土のもとで作られていれば、作っている場所が何処で、人がだれでも大丈夫だと認識しているのであろう。このことを日本の会社がしっかり理解していれば、日本製品はどこで製造されようとも、相変わらず高品質なものとして世界で受け入れられるのだと思う。おもてなしとか、真心とか、面はゆい言葉ではあるが、日本の多くの人に共有されているこの品質に対する真摯な思いこそが、日本経済の根幹なのだと思わされたことであった。

 今確かに中国市場での日本製品には勢いがない。マーケットに行くと、電化製品など、日本製はかなり隅の方のブースで縮こまっているように見える。しかし、それは中国がバブル的な経済発展と消費ブームのもとで、電化製品を買える層が飛躍的に増えたことによる一時的なものだと思う。中国は今大量消費から良いものを多少高くても買うという時代に移行する過渡期にあるのだ。ここで撤退や質を下げての安売りに走るのではなく、踏ん張れるかどうか、それが明日の日本経済を左右するのだと私には思われる。

中国通信 3


 今日は7月30日、再度中国に来て17日が経過したことになる。後1.5ヶ月、暑い盛りの福建省での仕事は多少負担だなあと思っているが、案外そうでもないのかもしれない。この頃ようやく食べ物についても冒険?をするゆとりがでてきた。そのためか、所変われば品変わるということを実感する毎日である。今日は夕食をつくるのが面倒だったので、サツマイモとパパイヤで済ませてしまった。ところが、パパイヤは産地だからそのまんま沖縄で食べるものと同じだったが、サツマイモが全然違うのである。外面はまったく日本のサツマイモなのだが、いざレンジで蒸かして(というのかな)中を割ってみると、その色は黄色でも紫(紅芋)でもなく、なんとパパイヤと同じ色なのであった。味もジャガイモよりは甘みがあるが、サツマイモのような甘みはなかった。喩えて言うすべもしらないが、まあそういうものだとおもって食べればまずくはなかった。こんな例はいくらでもある。トマトを買ってみたが、これは皮が堅い。味も青臭いくて酸味も甘みも感じられない。露地栽培ものがほとんどだと思うのだが、日本の露地栽培トマトにある太陽の香りとでもいうべきトマト独特の味はないのである。もちろん、日本でもハウス栽培で季節を外れたようなものは、ただ酸っぱいだけということもしばしばだが、少なくともこちらで食べるトマトよりは味があるように思う。

 こう書いてくると、なんだか中国の野菜やイモはだめで、日本のものが良いといっているように聞こえるかもしれないが、そうでもない。こういうものだと初めから知っているなら、それはそれで美味しいものなのだろう。生での食べ方も料理方法も違うのだから、一概には言えないようだ。

 但し、工業製品について言うと、これはさすがに日本とは大分違って、質が悪いものが多い。まず、ステイプラー(ホッチキス)がだめである。みためは良くできているのだが、打ち損ないが頻出し、また打った針が平らに始末されない、など私が小学生の頃に使った出始めのころのホッチキスを彷彿とさせるものである。結局日本で購入して持参するはめになった。また、セロテープの類似商品で、まあそういう風に使いたい粘着テープもだめである。いたずらに粘着性ばかり強く、ハサミでも良く切れない。ビニールでガムテープを作ったような感じといえば良さそうなしろものである。何かを張ろうとして引き出すとテープが伸びて変形するので、始末に悪い。結局これも日本から取り寄せた。そんなものは工業製品ではないよ、と言われそうだが、では冷蔵庫はどうだろう。私の住居には、前の住人が置いていったやや古い冷蔵庫がある。この騒音がものすごい。それが置いてある狭い台所と、居室の間にドア(ただし閉めるには大分力が要る)があるので、その騒音を大分免れているが、このドアが開いていると、ゴーゴーという音は、3つ先の部屋にまで聞こえてくる。またテレビも古いブラウン管タイプだが、電源をいれて余熱モードにしていても、絶えずブーンという音がしていて、怖くてコンセントを入れておけないのだ。もとより、これらは十数年前のこの国の工業レベルを反映しているのだろうが、それがどれほど改善されているのか、例の新幹線の例などを思い出せば、心もとないところである。

 私は中国にも電子配信される日本の新聞を欠かさずよんでいるのだが、ここ数ヶ月、日本の新聞では中国経済の減速を取り上げた記事が多くなったように感じる。この10年ぐらい、中国を訪れる人はだれでもその建築ラッシュに驚かされてきたのだが、それが一段落しそうな気配が見える。前なら、建てかけの20階建てマンションなどは、1ヶ月もすると完成していたりして、その早さに驚嘆したものだが、今は建てかけで工事のあまり進まないものが目につくようになった。
また前には建設中のマンションの宣伝はあまり見られなかったのだが、今ではどのビルにも巨大な横断幕や垂れ幕があって、値段や快適さを必死で宣伝しているようにみえる。中央政府が打ち出している都市化政策と地方政府の経済的理由が建築ラッシュを作り出していたのだが、それを受け入れる層が薄くなってきたのだはないだろうか。どうも、数年先には大地殻変動が起きそうな雰囲気が素人にも感じられるようになってきた。私の在任中に何事もなければ、と祈るばかりである。もちろん、そうならないようにこの国の質の向上が私の任務でもあるのだから、人ごとではない。しかし、私の分野が農学と生物学なので、経済にその影響が及ぶのにはどれだけの時間がかかるのだろう?

中国通信 2 


 福建で何ヶ月か暮らしてみて、いくつか中国の人達の平均的なものの見方というか、性癖のようなものが分かったような気がしている。その1つは、譲らないということである。これまでも、空港などで遅延が起きると、乗客が怒って係員にとめどもなく抗議するということを経験していたが、これは自己主張が強いだけではないか、と思っていた。しかし、どうも違うらしい。何事にもぎりぎりまで譲らないというのが、この国の人達の共通した生き方なのだと思うようになってきた。その事例をあげれば以下のごとしである。

 まず、歩行者は車がひっきりなしに通る狭い道でも、道路の中央を歩く。電動バイク(いまは中国では、日本の補助電気自転車ではなく、電気バイクが自転車に取って代わる勢いで普及している。それは、免許がいらないかららしい)や自転車も、ともかく道路の中央を走りたがるのである。車は車で、それらを警笛で脅して、ともかく今にも轢きそうな勢いで走っている。いずれもぎりぎりのところで避けることで何とか無事なのだが、それは、譲らないとい国民性の反映ではないのだろうか。日本だと、そういうこともままあるが、たいていは歩行者は遠慮がちに道の端を歩くし、マナーがわるいとは言っても自転車も道路脇か、歩道を走っている。善し悪しの問題ではないのだが、違いは確かにあるようだ。

 さらに、車同士がすれ違う時にも同じことが言える。狭い山道で対向車が見えたら、われわれなら早めに道路脇の広くなったところで停止し、対向車に道を譲ろうとする。両方が譲ってしまって、なかなかかわせないような事態さえ生じるのだが、中国の運転手はともかく衝突ぎりぎりまで譲らず、狭い道のまた狭い場所で路肩ぎりぎりでかわすのを常としている。酷いときはどうしてもかわせず、どちらかがバックしなければならなくなるが、この場合運転席から怒鳴りあいになることも多い。また、後ろがどんどん詰まってきてバックもできず、いたずらに時間だけが経つということも少なくない。札幌に住んでいると、2月や3月の雪の多い時期に、このような譲らないドライバーばかりだと、超大渋滞が起こってしまう。路肩の雪山で、一般道路でもしばしば、1台しか通れない場所がそこここにできてしまうのだから。ともかく、効率という面から、譲る方が、譲らない方より万事うまくゆくはずなのだが、そういう風にはなかなかいかないようなのだ。これもやはり、譲らない生き方のためなのだろう。

 この国の歴史から、人々のこういった性質をよみとくことができるのだろうか。善悪はともかく、この譲らないという性癖は、この国の歴史に根ざすものなのだろうか。また、逆に謙譲の美徳を重視する日本人のそれも、その歴史から理解できるのだろうか。国同士のつきあいをどううまくやるか、それには、このような生き方の違いを前提にする必要がありそうだ。

中国通信 1


私はこれを中国福建省の植物保護研究所の1室で書いている。ついこの間(2013年3月末日)、北大を定年退職し、縁あって中国の特別招聘研究者としてここへ研究室をもらい、しばらく研究を続けることになった。以前からこの研究室には何度も来る機会があり、そのつど感じたことを書いてきた。
今回は、以前のような1週間程度の滞在ではなく、宿所もアパートを提供されて長期間の滞在となるので、また違った眼でこの国をみることができるような気がしている。現在滞在20日を過ぎ、そろそろ里が恋しくなってくる頃であるが、まだ20日ばかりの滞在が残っている。そして一旦日本に戻り、また半月でこちらにくるということの繰り返しになる予定である。

 さて、この長期滞在の目的は、1つには中国の関連分野の研究の質向上ということにある。それについては、中国語がからっきしだめな私がどれほど貢献できるのか甚だ疑問であるが、より具体的に、こちらの研究を英文で国際的に宣伝して欲しいという希望は、まあ私にもできそうなので、引きうけることにした。来てみて、その要望が非常に具体的で、年に3本以上の英文論文を受け入れ研究者を筆頭著者にして国際誌に出して欲しい、というのには少し驚いたが、それくらいなら何とできるつもりでいる。ともかく、現在の中国は急速な発展に土台(基礎)がついて行けず、様々な問題を抱えているのである(例えば新幹線事故など)。もとより、政府はそれをあからさまには言わないが、私のようなものを呼ぶということからみて、上層部にはかなりの現状認識と危機感があることは確かである。

 20日も滞在すると、中国の方達、特に中間的な知識層に英語アレルギーが酷いことに気づかされる。会話は日本人よりうまいような気がするが、英語を書くと、???が彼らの頭の中を飛び交うようなのである。これは、英語を書いたり読んだりする方が会話より得意な日本人とは真逆で、戸惑わされることが多い。ともかく無数の漢字に取り巻かれて育ったかれらには、アルファベットを許容する隙間が日本人より大分狭いらしい。それが、先に述べた国際性を阻害している弱点の1つなのだと思うようになった。

 ところで、村上春樹氏の短編旅行記の中に中国のことがうまく書いてある。文章の記憶はおぼろげであるが、要は中国という国は新築の建物を数年で数十年もたった建物にみせる天才であるというような内容であった。私もそれを度々実感してきた。外観のコンクリートのクラックをみて、この建物は建って20年ぐらいたっているのか、と聞くと2年前に建ったと言われたり、ホテルの浴室の目地が割れ、錆が浮き出て、さらにシャワーは1本の滝のようになっているので、随分古いと思ったら、1年前にリホームしたばかりである、と胸をはられたり、枚挙にいとまもない。

 そんな経験をしつつ、今回私の受け入れ研究者が新築している工場(先に紹介したように、この人は研究者であると同時に天敵増殖販売会社の社長である)の建築現場をみる機会があった。もとより、私は建築業界には無関係であり、専門知識とてないが、今回の旅行の前半、私が病み上がりであるために随伴してくれた友人(内田さん)がその道の専門家だったので、聞いてみたところ、およそその工事は日本では許可されない工法でなされているということであった。詳しくは差し障りもあるので述べないが、そういう工法で建てれば、確かに工期は短縮され安上がりではあるが、錆がすぐ浮いたり、地震で倒壊したりする恐れが多分にあるそうである。これも、先にのべた私が招聘された理由に通じるところで、外観のみを重視し、質がおろそかになっているという、この国の問題の一端を示しているのだ。

 ただ、付け加えておきたいことは、この中国の現状が人ごとではないということである。日本も30年前の高度成長期には様々な問題を引き起こした経験がある。公害問題しかり、違法建築しかり、農薬過剰使用しかりである。我々が、これらのことから、この国に対して悪感情を持つとしたら、それは自分自身の30年前(つまり父母の時代)を憎悪するようなものである。私たちがなすべきは、そうした過去の失敗をこの国ができるだけ繰り返さずに、よりよい形でそれらを解決できるようにと協力することではないだろうか。もちろん国家間の様々な軋轢を乗り越えられるには、そういった民間の協力があってのことだと私は考えている。

アクセス

アクセス

   

苫小牧市新開町2丁目3番21号


大きな地図で見る

h2タグ

h3タグ

h4タグ

h5タグ
h6タグ
    

会社概要

会社概要


     

苫小牧倉庫株式会社

代表取締役 社長 小保方 伸一      

本社新開倉庫:〒053-0052 苫小牧市新開町2丁目3番21号      
TEL(0144)55-5282 FAX(0144)55-2009
普通倉庫 2棟 7,700㎡

新開低温倉庫:〒053-0052 苫小牧市新開町4丁目9番8号
TEL(0144)55-5707 FAX(0144)55-5611
低温倉庫 2棟 7,272㎡

主たる荷主      

農林水産省      
株式会社ブリヂストン
ビーエス物流株式会社      
ブリヂストンタイヤ北海道販売株式会社
日本パレットレンタル株式会社
日本甜菜製糖株式会社